現在の龍泉洞入口の昔の風景です。
昔の龍泉洞洞内への入り口は、現在の入口から少し上に上がったところにありました。
当時の岩泉町内の人々は、年に数回、入り口付近の清流でビールを冷やすなどして酒を酌み交わしていたようです。

百間廊下がまだ床板がはられていなかった頃、船で奥まで進んでいました。
この写真は船をおろしている写真です。
玉響きの滝のあたりが船着き場となっており、洞窟探検の虜になった青年たちはカンテラを持ち、真っ暗な洞奥を探検していたようです。

百間廊下を船で行き来していた頃、オールは持たず、船頭が岩を手で押しながら進んでいました。
龍泉洞まつりの際には船着き場まで多くの人が見に来ており、奥へ進みたい人はカンテラを持って奥へ探検に入っていたようです。

三笠宮様が御来町なされる事が決まった事により、洞内を歩きやすくするための改修が行われました。
そうした事を繰り返し、龍泉洞は現在の姿に近づいていきました。

【昭和43年】 昭和45年の岩手国体秋季大会開催を目途に洞奥開発を進めるために、潜水調査、洞奥開発工事、既設の洞内施設の改善などが行われました。
第三地底湖の水深62m地点での水中撮影写真です。

龍泉洞開洞当初は、第三地底湖まで行くと元来た道を折り返すルートでした。
入洞者増加により洞内の混雑が頻繁に発生した為、第三地底湖から三原峠に上がる階段を新設しました。

龍泉洞が当時「龍泉窟」と呼ばれていた頃の写真で、観光宣伝用に撮られたものです。
写っている女性がモデルになり、様々な場所で撮影を行ったようです。

板を釘ではりあわせ、サッパ船 (小さい釣り船風の船) を作り、流れに逆らって洞窟奥に進み洞窟を踏破し、蝙蝠穴などを発見しました。
昭和5年8月18日、同志18人で洞窟に入るなど末広がりの「八」にこだわり、洞窟探検の成功を願いました。
翌19日から28日までの9日間一般公開をし、546人が入洞し、大ニュースとなりました。

TOP